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Author:8番ライト
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なので、よく考えすぎて失敗します。
そのわりに考えなしの失敗も多いです。
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最近、なぜか多方面にわたり
「憎めないモード」(謎)
に入ってしまったため、いったんは私闘終了宣言をしましたが・・・

何せこの動向(ついに「騒動〜22」・・・)ですから、「言いたいこと」がないと言ったら嘘になります。
(なぜか「私闘終了宣言」より「動向によっては私闘再開?」のエントリに頂いた拍手のほうが多いというのも・・・)

しかし残念ながら、今の私には、一から十まで感情的なエントリしか書けそうにありません。
なので、しばらく「本当に」論理的な思考の出来る方々のエントリを、いろいろ考えつつ読ませていただくことにしています。

・・・というわけで、またもや全く別の話です。


実は、私が今密かに注目しているブログは、poohさんのブログ「Chromeplated Rat」。

ブログの内容そのものはもちろんですが、(時々難しすぎてついていけてないですが^^;)「キャラ」的にもいいんですよ、これが。いろんな意味で。コメンターの方のコメント含め、目が離せないです。

たとえば、これらのコメントなど、恐らくご本人には笑いを取るおつもりは全くないのでしょうが、なぜかツボって夜中に一人で吹いてしまうことも・・・


以下、「さすがにちょっと」のコメント欄から・・・

「けっこうぼくは必死です。」

「とくに都合よくはないです。」 (以上、poohさん)

・・・特に、「とくに都合よくはないです。」っていうのがもう最高です。(ぜひ、前後と合わせてお読み下さい。)

あと、
「「こわいこともある」て、確かに「怖いですね〜 恐ろしいですね〜」(淀川長治風で)。」(ぐら虫さん)

「きゃあーーー、こわいーーー。」(たんぽぽさん)

っていうのも、強烈な印象を残してくれます。
特にたんぽぽさんのコメント・・・ぜんぜんこわがってる感じがしないのはなぜっ、みたいな。
こうしてみると、コメントって短くても結構その人を表していますねぇ。


なお、このエントリは「賞賛」を目的としたツッコミ型「シャレ」エントリですので、よろしくお願いします。
お願いですから本気でつっかかってこないでくださいね。
・・・と断り書きを入れないと、ホントにコワイような気が一瞬しましたが・・・気のせいですよね^^;

(・・・poohさん、いろいろ勝手なことをほざいてすみませんm(_ _)mもちろん、論本体も考えながら・納得しながら読ませていただきました。)

大人への階段

娘が前髪が気に入らないというので、梳きバサミで整えてやっていたときのことだ。
「じっとして・・・ちょっと目つぶっててね。」
しばらくおとなしく切ってもらっていた娘は、ふいに目を閉じたままこんなことを言った。
「ねえ・・・子供のいる人って、みんな『そういうこと』してるってことだよね。」
一瞬虚を突かれた。
「・・・なんかやだな。」
そうか、娘もそういうことを考える時期なのか・・・私は自分の思春期を思い出して、答えるのが何だか照れくさいような、変な気持ちになった。

うんうん、そうだよね。
わかるわかる。
それは、みんな誰もが一度は通る道(悩み)だよ。
そして、ふと思った。
「セックス」の裏表・矛盾・あれこれを、うまく消化できるようになる、というのは、格好の「大人への階段」なんじゃないだろうか。


子供のいる人は(もちろん、子供のいるいないに関わらず、だが)言うまでもなく、「そういうこと」をしている。
これは、いくら「そういうのはイヤだ、受け入れたくない」と言ったところで、事実は事実だ。
それを「事実」として知りつつ、あくまでも「今目の前にいる(見えている)、その人・社会」と、敬意を持ってつきあう。まるで「そういうこと」がないかのように。
それが「大人」というものだ。

「そんなことしてるなんて、許せない!」と「汚れなき子供」のままでいるのも困りものだが、
「すました顔してたって、みんな陰ではエロいことしてるんだからさ」などと偽悪的になって、「裏表のないモノ」面をしていてもらっても困る。
その「裏表」を、涼しい顔で受け入れるだけの「タテマエとホンネ」を身につけてこそ、真の「大人」なのだと思う。
娘も、そしてやがて思春期を迎える息子も、そこをうまく乗り越えてくれればいいな、と思っている。

騒動を収束させたいなら

また、水伝と関係あるようなないような、あるような話を書きます。

これまでに私が学んだ
「議論を必要以上に紛糾させない」ためのスキル
を、いくつかを挙げてみようと思います。

あくまでも「議論を必要以上に紛糾させない」ことが目的である場合、です。
いくら議論が紛糾しても、社会が良くなればそれでいい
とか、
いくら議論が紛糾しても、自分の気が済めばいい
など、
他の目的をお持ちの方には、役に立たないスキルだと思いますので、流してください。



その1・「その最後の一言」本当に必要ですか?

「やっぱりあなたは〜な方ですね」
「思っていたとおりあなたは〜でした」
こういう、相手を「定義」する「余計な一言」を付け加えたくなる気持ちは、いやというほど分かります。私自身もついそれをしてしまい、失敗した経験は数知れません。
しかし、こういう一言が積み重なって議論の紛糾を招くことが多い気がします。

「なくても意味は通じる」と思ったら、言いたい気持ちをぐっと抑えて省きましょう。
逆に、この類の一言がないと意味が通じないというなら、そのあなたの意見は論として不完全です。


その2・皮肉は、できるだけ避ける。

「読む人によって読み取るものが異なる」表現の最たるものが、「皮肉」だと思います。
出来る限り違う表現にしたほうがよさそうです。ストレートな表現だから気分を害するとは限りません。


その3・意見の表明には、できるだけ「裏表」を使い分けない。

これに関しては、あえて多くを申し上げません。が・・・
普通、人は「裏」の発言のほうが真意に近いと受け取る、ということだけは、気をつけているべきだな、と思っています。

真のモヒカン2

世の中(・・・リアルもネットも)「モヒカン」を気取る人は多いが、たいていの人がその実そうではない、ということを、どうやら私は早い段階から「違和感」として感じていたようだ。
それというのも、「真のモヒカン」にしては、あまりにも行動様式が違いすぎるからだ。

参考までに、以下に私の知っている「真のモヒカン」さんの特徴をあげてみる。


1.批判は直接。

親しかろうが親しくなかろうが、どんな相手にでも、批判は「直接」加える。
時・場所・場合、全くおかまいなし!(・・・もちろんそれがしばしばトラブルを引き起こすわけだが)
彼らにとっては、相手に届かない形でなされる批判は、意味がない。


2.目的が明確である。

そして目的を達成したら、当然すぐに引き下がる。「長居」する意味は、ない。
また、相手を良くしてやろうとか教育してやろうという意図をもって批判を加えているのではない。あくまでも「論の間違い」を「論の間違い」として指摘することが目的である。
(ここは、Wikipediaの「モヒカン族」の説明が少し違うのではと思う部分だ。)
従って、相手の人格にまで言及するような「余計な一言」は、一切付け加えない。


3.自分の間違いを指摘されたときも、それが理にかなったものなら、素直に認める。

何しろ「感情」のバイアスがないに等しいので、こちらが拍子抜けするくらいにあっさりと自分の非を認めることも多い。


・・・こうやって見てみると、やはり「真のモヒカン族」と言える人は、ほとんどいないような気がする。

真のモヒカン

モヒカン族 (ネット用語)(Wikipediaより)

モヒカン族(モヒカンぞく)は、インターネット上の議論における論客の一類型を表すインターネットスラング。

(中略)

特徴
モヒカン族の類型は、インターネットあるいは他のコンピュータネットワークの古い利用者の文化に似る。はてなグループ mohicanにおけるモヒカン族宣言などによると、以下のような特徴を持つ。

技術的知識に優れ、それらの知識を当然の物として扱いがち。
情緒的なやりとりよりは情報の交換を重視する。
社交辞令は抜かして端的に論点を述べることが望ましいと考える。
ミスを指摘すること、ミスを指摘されることは悪意的なことや失礼なことではなく、間違った情報を訂正する大切な行為であると考える。
間違った情報を発した者には、即座に率直に真摯に訂正する習慣を身につけさせようとする。これは相手を「育てる」ことであると考えている。
情報に独自の解釈を加えて伝達するがごとき行為を伝言ゲームと解釈し、一律に嫌悪する。
発言内容こそが重要であり、発言した人物は重要ではない。
正しい情報に対して尊重する態度を持つべきである。
発言した人物によって受け取り方が変わるような情報であれば、その情報にはそもそも価値がない。
モヒカン族が情報の交換としての対話を重視するあまり、対話を通じて相手が感情的になる可能性を軽視すること、また間違いは積極的に訂正しようとする習慣はしばしば揉め事につながる。モヒカン族は対話の相手に対して、当たり障りのない言い回しではなく端的な指摘をする。また相手の論に間違いがあると考えればそれを1つ1つ確実に指摘しようとする。

このような執拗な指摘は、非モヒカン的な感性においては論ではなく人格に対する攻撃であると感じられることがある。そのような感性の持ち主がモヒカン族と出会うと、人格を非難する目的がなければもう少し感情を斟酌してくれるであろうと期待し、その期待を裏切られることでモヒカン族の側に悪意を見出す。その結果として感情的な不毛な論争をもたらしがちなのである。

また、他の人よりも言葉を重視し、敢えて行間を読まずに書かれていることによってのみ相手の主張を読む、という行動様式が、揚げ足をとっているように錯覚されることも多い。往々にしてモヒカン族の多くは揚げ足を取ることを目的としておらず、相手のレベルに自分の行動様式をあわせるということをしていないだけと考えられる。



以前からたまに目にしていながら、意味を知らなかった言葉の一つだ。
何となく「群れない」とか「一匹狼」みたいな意味かな?と思っていたのだが、ちょっと違っていた。

実は、私はリアルで「モヒカン」そのものの人を知っている。
その人にとっては、対話は「情報交換」の意味しか持たず、人がそれによって感情を害そうが全く関知しない。というか、そのことに気づいてさえいない。
一方で、自分の感情にももちろん無頓着である。
「普通こういうこと言われたら怒るだろう」と思うところでも、そうはならないので驚くこともしばしばである。

実はこういうタイプの人は、こちらがその特徴さえつかんでいれば、さほど不愉快な事態には陥らない。むしろさばさばして気持ちがいい場合すらある。
(一方当人のほうは、「非モヒカン」中心の世間ではやはり何かと風当たりも強いようで、感情を理解するスキルを「テクニックとして」身につける必要に迫られているようだが・・・)

むしろ私がやりにくいと感じるのは、こちらの記述にあるほうだな、と思った。

偽モヒカン族
モヒカン族であるかのように振る舞っているが、実際には相手を攻撃する意図を持っており、自身が感情的/攻撃的な動機に囚われているという点でモヒカンではない人々。自覚的にモヒカンを演じる人を特に偽モヒカン族、自身ではモヒカン族のつもりであるが無自覚にそこから外れている人のことを似非モヒカン族とも呼ぶ。



ネット上でも、真のモヒカン族にはほとんどお目にかからないが、偽モヒカン族にはしょっちゅう出くわすような気がする。そして、余計な混乱を招くのは、たいていこちらのほうではないかと私は思っている。

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