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信じたい気持ち

2008/05/13 22:47 

ある方からのご提案に一理あると感じまして、一週間ほど更新を中止します。
その前に、打ち明け話をしたいと思います。
長いですが、お読みいただければ幸いです。


ーーーーー

私の母は「左」そのもので、「女性の権利」にもうるさく、また「キョーレツ」な教育ママだった。
持ち帰るテストは、満点でなければ全て叱責の対象だったし、何しろほめられた記憶がほとんどない。
記憶にある母はといえば、父と争っているか、小言を言っているか、出て行こうとしている背中くらいだ。

そんな中、私は母に愛されたい一心で努力してきた。
長く続けていたピアノにもさして執着はなく、母の希望を先回りするかのように、希望通り(厳密には第二志望)の大学に合格した。
自分で自分が何をしたいかさえわからなかった。とにかくいい大学に入れば、母は喜んでくれると思っていたから。

初めての実家を離れての一人暮らし。
そしていつしか、大学に行けない日が続くようになり、悪あがきの末退学した。


ーーーーー

運良く就職したはいいが、先輩男性社員と噂を立てられ、いやがらせを受けるようになり、
逃げるように結婚して専業主婦になった。

私はずっと、自分が女であることを嘆き、愛してくれなかった母を許そうとしなかった。
それが、我が子を授かってから、少しずつ変化しだした。

最初は、子育ては大変なことばかりだと感じていた。
おっぱいをやり、おむつをかえ、またおっぱいをやり・・・
とにかく眠い!しんどい!それだけだった。
それが、いつ頃からだろう、喜びに変わり始めたのは。

気がつけば、ちょっとおしゃまな娘がそばにいて、
自分とは関係なく笑ったり泣いたりしている。
娘が自分を見る目は、私が母を見ていた目と同じなのか・・・
そんなことを考えたりした。


ーーーーー

そんなとき、二人目を授かり、
そして流産した。

もちろん、自分も悲しかった。
しかし私をもっと苦しませたのは、
3才になるかならないかの娘に、これをどう伝えたらいいのか、だった。

「ママのおなかの赤ちゃんね〜、いなくなっちゃったの。」
病院から戻って、ソファーで娘と隣り合って座ってこう言ってみた。
「・・・?どうして?」
私は言葉につまった。
いくらそれが真実でも、「死んじゃったの」とは言いたくなかった。
そう言ったが最後、本当に「無」になってしまうような気がして。

私は、自分が無宗教なのを呪った。
カルトだろうが何だろうが、とにかく自信を持って信じられるもの・言える言葉が
気が狂うほど欲しかった。

「・・・赤ちゃんはね、神様の所に帰っていったのよ。」
結局そうとしか言えなかった。
「なんで?」と不思議そうに聞く娘に、私は涙をこらえながら
「さあ・・・神様のところに忘れ物したのかもしれないね。」
娘は、「ふ〜ん」と言って黙った。

「・・・赤ちゃん、またもどって来るかな?」娘がふいに言った。
「うん、きっとまた来るよ。」
娘は納得したような顔をして、おやつのテーブルに戻っていった。


ーーーーー

あれから何年も経つのに、そのときの気持ちは今も心の奥底に眠っている。
私がカルト的なものに最も近づいたのは、間違いなくこの時だったと思う。

私はずっと、
「勝ち続ける」ことを目標にしていた。
大学を中退した後でさえ、
「失敗から学んで次に生かす」というような、
「望めばかなう」式の考え方をしてきた。

しかし、流産では、それらのどの考え方も私を救ってはくれなかった。
ただただ、何も考えず、涙とともに飲み込むしかない。
世の中にはそういう苦難があることを初めて知った。

信じたい、すがりたいという気持ちを前に、科学は無力だ。
ニセ科学にはまるというのは、ある意味まだ「理性」が働いているとも言える。

科学の敵は、「ニセ科学」そのものであって、
「それを信じる人間」ではない、と思う。
「信じたい」気持ちの人間を、科学で批判して、一体どうなるというのだろう。
あの頃の私と向き合ったとして、かける言葉が浮かぶ人がいるだろうか。
今の私自身でも、それは無理だと思う。


・・・ちなみに、その後しばらくして
赤ちゃんは「戻ってきた」。
今は、毎日姉弟なかよくケンカしている。

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