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2008-05-13 Tue 22:47
ある方からのご提案に一理あると感じまして、一週間ほど更新を中止します。
その前に、打ち明け話をしたいと思います。 長いですが、お読みいただければ幸いです。 ーーーーー 私の母は「左」そのもので、「女性の権利」にもうるさく、また「キョーレツ」な教育ママだった。 持ち帰るテストは、満点でなければ全て叱責の対象だったし、何しろほめられた記憶がほとんどない。 記憶にある母はといえば、父と争っているか、小言を言っているか、出て行こうとしている背中くらいだ。 そんな中、私は母に愛されたい一心で努力してきた。 長く続けていたピアノにもさして執着はなく、母の希望を先回りするかのように、希望通り(厳密には第二志望)の大学に合格した。 自分で自分が何をしたいかさえわからなかった。とにかくいい大学に入れば、母は喜んでくれると思っていたから。 初めての実家を離れての一人暮らし。 そしていつしか、大学に行けない日が続くようになり、悪あがきの末退学した。 ーーーーー 運良く就職したはいいが、先輩男性社員と噂を立てられ、いやがらせを受けるようになり、 逃げるように結婚して専業主婦になった。 私はずっと、自分が女であることを嘆き、愛してくれなかった母を許そうとしなかった。 それが、我が子を授かってから、少しずつ変化しだした。 最初は、子育ては大変なことばかりだと感じていた。 おっぱいをやり、おむつをかえ、またおっぱいをやり・・・ とにかく眠い!しんどい!それだけだった。 それが、いつ頃からだろう、喜びに変わり始めたのは。 気がつけば、ちょっとおしゃまな娘がそばにいて、 自分とは関係なく笑ったり泣いたりしている。 娘が自分を見る目は、私が母を見ていた目と同じなのか・・・ そんなことを考えたりした。 ーーーーー そんなとき、二人目を授かり、 そして流産した。 もちろん、自分も悲しかった。 しかし私をもっと苦しませたのは、 3才になるかならないかの娘に、これをどう伝えたらいいのか、だった。 「ママのおなかの赤ちゃんね〜、いなくなっちゃったの。」 病院から戻って、ソファーで娘と隣り合って座ってこう言ってみた。 「・・・?どうして?」 私は言葉につまった。 いくらそれが真実でも、「死んじゃったの」とは言いたくなかった。 そう言ったが最後、本当に「無」になってしまうような気がして。 私は、自分が無宗教なのを呪った。 カルトだろうが何だろうが、とにかく自信を持って信じられるもの・言える言葉が 気が狂うほど欲しかった。 「・・・赤ちゃんはね、神様の所に帰っていったのよ。」 結局そうとしか言えなかった。 「なんで?」と不思議そうに聞く娘に、私は涙をこらえながら 「さあ・・・神様のところに忘れ物したのかもしれないね。」 娘は、「ふ〜ん」と言って黙った。 「・・・赤ちゃん、またもどって来るかな?」娘がふいに言った。 「うん、きっとまた来るよ。」 娘は納得したような顔をして、おやつのテーブルに戻っていった。 ーーーーー あれから何年も経つのに、そのときの気持ちは今も心の奥底に眠っている。 私がカルト的なものに最も近づいたのは、間違いなくこの時だったと思う。 私はずっと、 「勝ち続ける」ことを目標にしていた。 大学を中退した後でさえ、 「失敗から学んで次に生かす」というような、 「望めばかなう」式の考え方をしてきた。 しかし、流産では、それらのどの考え方も私を救ってはくれなかった。 ただただ、何も考えず、涙とともに飲み込むしかない。 世の中にはそういう苦難があることを初めて知った。 信じたい、すがりたいという気持ちを前に、科学は無力だ。 ニセ科学にはまるというのは、ある意味まだ「理性」が働いているとも言える。 科学の敵は、「ニセ科学」そのものであって、 「それを信じる人間」ではない、と思う。 「信じたい」気持ちの人間を、科学で批判して、一体どうなるというのだろう。 あの頃の私と向き合ったとして、かける言葉が浮かぶ人がいるだろうか。 今の私自身でも、それは無理だと思う。 ・・・ちなみに、その後しばらくして 赤ちゃんは「戻ってきた」。 今は、毎日姉弟なかよくケンカしている。 |
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甘え
>Lightさん
「ニセ科学にはまるというのは、ある意味まだ「理性」が働いているとも言える。」 それは理性というより「科学信仰」でしょう。 充分な理性があれば「信じたい、すがりたいという気持」を満たすのにまともな宗教とか哲学とか心理療法を利用するはずです。 「科学の敵は、「ニセ科学」そのものであって、 「それを信じる人間」ではない、と思う。 「信じたい」気持ちの人間を、科学で批判して、一体どうなるというのだろう。」 ニセ科学を信じる・信じたい人たちはニセ科学問題の重要な当事者です。 自動車問題を批判するのにユーザーの存在を無視することはできません。 医療問題の解決には患者の過大な期待・利己的な行動を抑制する必要があります。 教育問題をなんとかするには「学校任せ」では無理で親の自覚が不可欠です。 ニセ科学問題だけなぜ「信じる人間」を批判してはいけないのかわかりません。 それともLigitさんは「ドライバーを批判するな、患者をあげつらうな、親の責任を問うのはやめろ」というお考えなのですか。 「あの頃の私と向き合ったとして、かける言葉が浮かぶ人がいるだろうか。 今の私自身でも、それは無理だと思う。」 自己憐憫はみっともないですよ。 かける言葉などなくても、Lightさんには温かく見守ってくれるだんなさんと娘さんがいるはずです。 それをうらやましく思う人が世の中にはたくさんいます。 お察しいたします
書くのも辛い体験ですね
伝わるはずの無い自分の経験や感情を振り返り文字にするのはさぞかしキツい事だったとお察しいたします 水伝記事とは全く別にLightさんの内面を感じるエントリーだと思いました なんの落ち度もない自分に降り掛かる突然の不幸 努力をすれば頑張れば何とかなるという限界を超えた事態 その時に人は何を思うのか? 愛する旦那さまやお子様はいてもきっと癒されない孤独や罪悪感 経験した人しかわからない凄絶な心情だったと思います 私には思うところがあり自己憐憫だと切り捨ててしまう事はできません 自動車問題も医療問題も教育問題もどこかに責任がおこりうる問題だと思いますが 流産という事態は親にも子供にも落ち度が無いのですから 厳密にいえば落ち度のない流産とニセ科学ということを同列に並べるのは違和感がありますが そういう絶望を感じた時に人は藁にもすがる心情になりうるという事だと私は理解しています >かける言葉などなくても、Lightさんには温かく見守ってくれるだんなさんと娘さんがいるはずです。 それをうらやましく思う人が世の中にはたくさんいます。 自分が流産して辛く落ち込んでいても暖かく見守ってくれる第三者の旦那さまと娘さんがいるんだから言葉なんてかけなくていいじゃないかというのですか? そして流産しても暖かく見守ってくれる旦那さまと娘さんがいる人をうらやましいと思う人がたくさんいると!! 確かにそういう風に思う人の存在は否定しませんが さすがにこの発言は玄倉川の人格を疑います 聞いてみたいですが玄倉川さんの愛妻が流産をして落ち込んでいる時に玄倉川さんはどうするんですか? 「自己憐憫はみっともないですよ」と言うのでしょうか?
2008-05-16 Fri 20:57 | URL | エミル #-[ 内容変更] 管理人のみ閲覧できます
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2008-05-16 Fri 21:11 | | #[ 内容変更] 少し間が開いてしまいました
Lightさん、こんにちは。
このお話はえあしゃさんのところで一部公開されていたお話ですね。 こんな風に書くと、もしかしたらまたえあしゃさんからお怒りを頂戴することになるのかもしれませんが、母性を巡ってのえあしゃさんとのあのやりとりは、私にとっては「対話」のつもりだったのです。傍からみれば互いに角と角をぶつけ合っているように見えたでしょうから、あの討論の最中「対話」などというと、???だったでしょうけれども、今から振り返り、あのやりとりを通じで得られたLightさんとえあしゃさんの関係性、またおふたりと私の関係性を思えば、あれはまさしく「対話」だったといえると思います。 新たなエントリーのTBを送らせて頂きましたが、そこには「私=物語」という言葉が出てきます。「対話」とは最終的には「私=物語」に行き着くものであり、もしかしたら「私」を告白するための下準備が「対話」といえるのかもしれません。このエントリーでLightさんがお示しになったのは、Lightさんの「物語」であり「私」でしょう。 LightさんはMEDAMAさんのところで、 >では、それならばなぜ、「この問題に多様な切り口で迫ること」を拒む人々が、これほどいるのだろうか? という問いを発しておられましたね。この問いに私が答えるとするならば、その答えは 「私=物語=【語りえないもの】」を他人に知られるのが怖いから というものになります。そうした人たちは怖いから、「私」に関わりのない論理性や客観性を前面に押し立てることになります。だってそうでしょう? 誰だって「私」を告白するのは怖いはずです。でも、他人を批判することができる資格があるのは、自分の「物語」を他人に晒す覚悟がある人間だけです。少なくとも私はそう考えます。「私」を隠蔽しようとする人間の批判など戯言だと断じておけばよいのです。 Lightさん、以前鍵コメで一度コメントした者です。混乱させる様な事を書いてしまって申し訳ありませんでした・・・。辛かったお気持ち分かります。私も娘が居ますから。
私が思うに、玄倉川さんは自分の内面をじっくり見詰める機会が必要なのではないでしょうか?はっきりいって今の貴方は反社会的で不愉快な存在です。ニセ科学を信じてしまった事は他人に無礼な発言をする事以上に悪い事なのですか?実社会で誰にも相手にされないからといってネット上で人を傷つけて憂さ晴らしするのは止めてください。 >ニセ科学問題だけなぜ「信じる人間」を批判してはいけないのかわかりません。 科学とニセ科学を判別するのが素人には難しいからです。ニセだという知識を先に知った人がそこまで偉いとは思いません。自分で実証した訳でも無いのに偉そうに。
2008-05-16 Fri 22:02 | URL | 傍観者 #-[ 内容変更] 更新しないと言いつつ・・・
コメントレスだけは、させていただくことにしました。身勝手ですみません(笑)
玄倉川さん、 まずは、こんなコメントのつけづらいエントリにコメントを入れてくださったことに、素直に感謝します。 頭では、分かっているんですよ。その頃の私も。 世の中にはもっと不幸な人がいるとか、一人は子供を授かったじゃないか、とか。 でもそういうよく言われる理屈は、苦しみのただ中にいる人には、全く意味がないのです。むしろ余計に苦しみを増すばかりだった気がします。 「何かにすがりたいと希う人間」を相手にするというのがどんなに難しいことなのか、それが少しでも伝えられるといいなと思ったのですが・・・ こればかりは実際にそういう経験がなければ、わからないのかもしれません。 エミルさん、 >書くのも辛い体験ですね 確かにその通りでした・・・日付スタンプが13日になっていますが、その段階から下書きを始めていたのですが、なかなか進まず・・・ 「孤独感や罪悪感」まで読み取っていただけたことを、とてもうれしく思います。アップしたかいがありました。どうもありがとうございました。 カギコメさん、 大丈夫ですよ。どうもありがとうございます。 愚樵さん、 >今から振り返り、あのやりとりを通じで得られたLightさんとえあしゃさんの関係性、またおふたりと私の関係性を思えば、あれはまさしく「対話」だったといえると思います。 ・・・本当にそうですね。あの展開は、私にとってかなりエポックメイキングなものでした。お二人にあらためて感謝したいです。 >他人を批判することができる資格があるのは、自分の「物語」を他人に晒す覚悟がある人間だけです。少なくとも私はそう考えます。「私」を隠蔽しようとする人間の批判など戯言だと断じておけばよいのです。 ・・・確かに、「私」を隠蔽しようとしている人とのやりとりは、結局不毛に終わるような気がしています。 一方ちょっと困ったことには、私は「言葉の裏」を読みすぎる傾向があるもので、隠された「私」を推測しそうになったりもするのです。たとえば玄倉川さんの >それをうらやましく思う人が世の中にはたくさんいます。 にも、言葉通り以上を感じてしまったりして、憎めなかったりするのでやっかいです。・・・
2008-05-16 Fri 22:37 | URL | Light #ffrl57rc[ 内容変更] 傍観者さん、
ようこそいらっしゃいました。
子供って、連れてくる喜びも悲しみも、半端じゃないですよね。 ところで、玄倉川さんにズバズバおっしゃるので驚きました(笑) しかし、私に関しては大丈夫です。傷ついたというより、伝わらない空しさのようなものはありますけれど。 こういうことを経験して消化できた今は、自分の心情からも距離を置いて考えられるようになりました。 (悲しみのさなかにある人には、言う言葉ではないと思いますが。) 何にしても「自分の内面をじっくり見つめる」というのは、私もとても大事なことだと思っています。
2008-05-16 Fri 22:53 | URL | Light #ffrl57rc[ 内容変更]
>言葉通り以上を感じてしまったりして、憎めなかったりするのでやっかいです。・・・
Lightさん、実の所私もです(笑)
2008-05-16 Fri 23:52 | URL | 傍観者 #-[ 内容変更] 私にとっても重要でした
Lightさん、愚樵さん
こんにちは >母性を巡ってのえあしゃさんとのあのやりとりは、私にとっては「対話」 いまなら、もう少しうまく対話できると思うのですけどね^^; でもあの"対話"で私は非常に重要なことを学んだつもりでいます。 ひとつはまったく反対意見をもつものでも、相互理解はできる、ということです。 意見の背景にある人間を知ろうとすることで。 論理は人間から独立して存在しうるのでしょうが、 その論理を理解するには、論理の構造を探るより、 それを発した人間を問うた方が容易に理解できることもあるのだ、と思いました。 逆にいえば、自分を理解してほしければ 自分自身をさらけださなくてはならない、ということですね。お2人がおっしゃるように。 でも、難しいことではありますね。とりわけ相手を警戒している場合には どんどん自分を隠そうとしていく自分を見つけることもあります。 エントリーに戻り、、 信じたい、というのはとても難しい問題ですね。 私はコナン・ドイルを思い出しました。 自身も医学博士で、ホームズのような科学的方法論を重んじる探偵を造形しながら、 戦争で息子を亡くした後に心霊現象にひきつけられていくのですよね。 自伝(だったと思う…)を読んだことがありますが、心霊が存在する証拠を 何としても積み上げていこうとする様子が痛々しく感じられました。 Lightさんのおっしゃるようにただただ「信じたかった」のでしょう。
2008-05-16 Fri 23:59 | URL | えあしゃ #idtulJjk[ 内容変更]
Lightさん
こんばんは。NewsOLです。 連日のブログ運営・管理、本当にお疲れ様でした。 自分の心と体のためにも、ゆっくり休むのはすごく良いことだと思います。 (って、「お前も休め」って声がどこからか聞こえてくる気がしますけど無視…笑) お昼にLightさんのエントリーを読んでから、 Lightさんにどんな言葉をかけていいのか、わからなくて、 書いては消して、書いては消してを繰り返し、、、、 結局ありきたりな「こんばんは」から書き出してしまいました…。すいません。 私は子供を身篭った事がありませんし、もちろん産んだこともありません。 ですが、ここ2年の間に姪や甥が産まれ、命の尊さは私なりに感じていますし、 私にとっては本当に本当にかわいくて愛しい天使ちゃん達です。 Lightさんの記事を読んで、昔、私の一番の親友が流産してしまった時、 何も言えずに側にいてあげることしかできなかった自分を思い出しました…。 そして、Lightさんの感情を想像するだけ、非常に辛く悲しい気持ちになりました…。 他人を責めることもできず、自分だけを責め後悔と懺悔を繰り返し、 泣いてばかりだった過去が私にもあります。 人に話せるようになった今でも、思い出して涙が溢れてくる時があります。 辛い体験や悲しい体験を人に話せるようになるまで、 文字として綴れるようになるまで、すごく時間がかかりますよね。 「自分」をこんなにもさらけ出したLightさんの"勇気"に拍手を送りたい気持ちです。 私には、「信じたい」気持ちの人間を、批判(否定)することは出来ません…。 藁にすがる
>エミルさん
「言葉なんてかけなくていいじゃないかというのですか?」 そんなことは言ってません。 「聞いてみたいですが玄倉川さんの愛妻が流産をして落ち込んでいる時に玄倉川さんはどうするんですか?」 普通に、ありきたりの言葉をかけて慰めるでしょう。あるいは無言で抱きしめるでしょう。他にどうしようもありませんから。 ただし、もし彼女が「自分は世界一不幸だ」とか「すべての人に慰めてもらって当然だ」とか言い出したらたしなめます。不幸な人は気の毒ですが、だからといって傲慢になっていいものではありません。 >傍観者さん 「ニセ科学を信じてしまった事は他人に無礼な発言をする事以上に悪い事なのですか?」 道徳的善悪は知りませんが、社会的悪影響は「無礼な発言」より「ニセ科学礼賛」のほうがずっと強いと思います。 無礼な言葉を好んで真似る人は少なく、ニセ科学は人をいい気持ちにさせて錯誤に引きずり込むからです。 「科学とニセ科学を判別するのが素人には難しいからです。」 高校卒業、いや義務教育終了程度の科学知識と社会的常識があれば難しくはないと思います。 簡単に避けられる落とし穴に落ちるのは、世の中に不注意な人が多いからでしょう。そして不注意な人でも生きられるほど日本社会が「優しい」からでもあります。 >Lightさん 「「何かにすがりたいと希う人間」を相手にするというのがどんなに難しいことなのか、それが少しでも伝えられるといいなと思ったのですが・・・ こればかりは実際にそういう経験がなければ、わからないのかもしれません。」 「溺れるものは藁にもすがる」ということわざがあります。 実際は藁にすがっても浮力などありません。 溺れている人を助けるには、その人にしがみつかれないよう特に注意しないと一緒に溺れる危険があります。 溺れている人も助けに来た人にむやみにしがみついてはいけません。 実際にはなかなか難しいことですが。 管理人のみ閲覧できます
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2008-05-17 Sat 03:53 | | #[ 内容変更] ちょっとばかり(?)脱力
あ、玄倉川さん、度々どうも。
幾分エントリーの主題から外れるかもしれませんが、御容赦を。 >簡単に避けられる落とし穴に落ちるのは、世の中に不注意な人が多いからでしょう。 航空業界や医療業界が命に関わるミスを回避しようと日々努力している方々が読むときっと・・・ あ、ヒューマンエラーって言うんですけどね。 義務教育卒業程度の科学的知識と社会常識にはきっと当てはまらないんでしょうけど・・・(しっかし「社会常識」なるものを誰がどうやって判断するんでしょう?) 認知科学に関する文献(一般の書店で手に入る書物ね)を読めば、いかに人間がエラーを起こしやすいか(エラーを起こすのが人間の本性と言ってもよい)は、簡単に分かるはずなんですけどね(不注意な人間がミスをするってのが明確な誤り、でなければあらゆる人間は不注意である、というおよそ無意味な結論しか出ない)。 教訓としては、「義務教育卒業程度の科学的知識」「社会的常識」なる言辞に惑わされることなく、その都度必要な知識、必要な思考を身につけろってことですかね。 管理人のみ閲覧できます
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2008-05-17 Sat 20:10 | | #[ 内容変更] >玄倉川さん
お返事ありがとうございました。まず先に失礼な発言をお詫びします。
実社会云々はネット上でよく見られる煽り文句のようなので使っただけで本気で思っていることではないです。 >高校卒業、いや義務教育終了程度の科学知識と社会的常識があれば難しくはないと思います。 これは水伝に限った事ですよね?全ての事象が義務教育終了課程程度の知識で説明出来たら科学者って一体何してるの?ってなってしまいます。 それと、私の思っていることを書いておきます。私は玄倉川さんが過去にもブログ間の揉め事に首を突っ込んで閉鎖に追い込んだ事があるのではないかと疑っています。はてなで玄倉川さんのブログを検索したら「あるブログの終焉」という記事にブックマークが多数ついていました。ちょうど先日の「らんきー百貨店の没落」に似たような内容でした。元のブログが消滅しているので詳しい経緯は分からないので誤解だったらごめんなさい。もし玄倉川さんが面白がって次々に気に入らないブログを潰してやろうと考えているなら許せない事だと思ったのです。私は水伝騒動そのものはぶいっちゃんが問題の記事に注釈をつけた時点で解決していると認識しているので、それ以後も批判者側は「誠実でない」「どっちを向いて謝罪している」等としつこく迫った事は疑似科学批判よりも別の目的があるのだと余計に不信感を増大させました。 私が疑似科学について最も危険だと思う点はカルト化してしまう事だと思っています。その意味で、批判者側が頭ごなしに言い立てると批判される側が追い詰められて逆効果になっている事はLightさんが図らずも証明しています。 ちなみに私はもともと気まぐれな日々の読者で、らんきーの記事は水伝関連しか読んでいません。
2008-05-17 Sat 21:08 | URL | 傍観者 #-[ 内容変更] 別の目的
>quine10さん
「あ、ヒューマンエラーって言うんですけどね。」 先日「最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか」という本を読みました。とても興味深かったです。 「しっかし「社会常識」なるものを誰がどうやって判断するんでしょう?」 それぞれの人がその人なりの感覚で判断するだけです。 「教訓としては、「義務教育卒業程度の科学的知識」「社会的常識」なる言辞に惑わされることなく、その都度必要な知識、必要な思考を身につけろってことですかね。」 どこが「惑わす」ものなのかわかりません。 最低限の科学知識と社会的常識を持つのは社会人として当然のことだと思います。 >傍観者さん 「これは水伝に限った事ですよね?全ての事象が義務教育終了課程程度の知識で説明出来たら科学者って一体何してるの?ってなってしまいます。」 どこから「全ての事象」が出てきたのですか。 私はたいていのニセ科学は義務教育卒業程度の科学知識があれば免疫が付くはずだと思いますが、全ての事象が説明できるなどと言ってません。なぜ「科学者っていったい何してるの?」という感想が出るのか理解できません。 「私は玄倉川さんが過去にもブログ間の揉め事に首を突っ込んで閉鎖に追い込んだ事があるのではないかと疑っています。」 そうですか。 「元のブログが消滅しているので詳しい経緯は分からないので誤解だったらごめんなさい。」 誤解ですが、別に謝ってもらわなくてもいいです。 経緯を説明します。 「after game overというブログが『ある個人史の終焉』という記事を書いてたいへん評判になる(http://b.hatena.ne.jp/entry/6196858)」 「それに理不尽なイチャモンを付けるブログ(私ではありません)が現れて「はてな」界隈で騒ぎになる」 「嫌気が差した「after game over」の人がブログを閉鎖する」 「私が『閉鎖の仕方が気に食わない!』(http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/7ba7e717a646660dd24b610dd0f844c9)と噛み付く」 (全体の経緯→ http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20071103/p1) 私がafter game overを批判したのは「閉鎖後」であり、その内容は「ブログを閉鎖したこと・そのやりかた」についてです。 もちろん私の批判が閉鎖の決断に影響を与えた事実はありません。 「私は水伝騒動そのものはぶいっちゃんが問題の記事に注釈をつけた時点で解決していると認識している」 ものすごく甘い基準ですね。 「疑似科学批判よりも別の目的があるのだと余計に不信感を増大させました。」 すでに騒動の中心は疑似科学批判を離れています。その意味で「別の目的」という見方は合ってます。 現在の問題は主にらんきー一派・シンパ・ニセ科学擁護者の「不誠実な思考法・コミュニケーション」に対する批判です。 「批判者側が頭ごなしに言い立てると批判される側が追い詰められて逆効果」 ダメなものはダメ、間違いは間違いだとはっきり批判しないと始まりません。 多くのニセ科学批判はLightさんのような特定個人の考えを変えることではなく、それを読む読者に考えてもらうことを目的にしていると私は理解しています。中には「逆効果」になる場合もあるでしょうが、たいていの人はそれほど感情的ではないだろうと期待します。 >玄倉川さん
玄倉川さん
失礼な質問に丁寧にお答えいただきありがとうございます >普通に、ありきたりの言葉をかけて慰めるでしょう。あるいは無言で抱きしめるでしょう。他にどうしようもありませんから。 確かに私もそうするでしょう >ただし、もし彼女が「自分は世界一不幸だ」とか「すべての人に慰めてもらって当然だ」とか言い出したらたしなめます。不幸な人は気の毒ですが、だからといって傲慢になっていいものではありません。 「自分は世界一不幸だ」「すべての人に慰めてもらって当然だ」と思うかはわかりませんが絶望している人を励ましても緩慢だとたしなめても効果は薄いか逆効果になる場合が多いと思います (玄倉川さんはそうするべきだというお考えは理解いたしました) 私は時間が経ち少しずつ痛みが和らぐまでは取り乱してもなにも言わずに見守るでしょう 時には自分や人に甘えても緩慢であっても良いと思います そうすることによって精神のバランスの崩壊を防げるなら、、、 自分も含めて人はそれほど強い物ではないと感じています (それが正しいという訳ではなくあくまで私の考え方です) >溺れている人を助けるには、その人にしがみつかれないよう特に注意しないと一緒に溺れる危険があります。 溺れている人も助けに来た人にむやみにしがみついてはいけません。 確かに!感受性が強い私はしがみつかれて溺れる危険性があるのかな?と心配になりました >実際にはなかなか難しいことですが。 厳しく感じる言葉の中にも玄倉川さんのお人柄が垣間見えるコメントですね 数々の玄倉川さんのコメントと通して私が感じた玄倉川さんの人物像が間違いではなかったとちょっと嬉しく思いました (勝手に人物像を想像して申し訳ありません) 感情的になり不躾な質問をして申し訳ありませんでした
2008-05-18 Sun 23:27 | URL | エミル #.TdP4WeM[ 内容変更] 玄倉川さん
お返事ありがとうございました。唐突ですがこの問題、どういう形に落ち着くのが理想だと思われますか?議論を突き詰めれば解決する物とも思えないのですが。
「私がafter game overを批判したのは「閉鎖後」であり、その内容は「ブログを閉鎖したこと・そのやりかた」についてです。 もちろん私の批判が閉鎖の決断に影響を与えた事実はありません。」 そうでしたか、数々の失礼をお許しください。それが確認できた以上、もうブログを荒らす気はありません。玄倉川さんはidiotape氏が2度目にブログを閉鎖した後に批判をした、idiotape氏とコメントも交わしていないという事ですね?あまりにも水伝騒動と非常によく似た流れなので妄想が激しくなってしまいました。「あるブログの終焉」のコメント欄を丸写ししますけど。 「一つの文章にたくさんの賛意が付く→誰かがそれは違うと言う→そういう物言いを許さないor無視するみたいな流れができる→いろいろ議論があって時間とともに元文章の書き手に対する胡散臭さが表面化してくる」 idiotape氏はぶいっちゃんと同様に人情話が得意で非常に人を惹きつける文章を書く人物、という共通点もあります。初心者なので分からないのですがネット上ではよくある事なのでしょうね。とにかくありがとうございました。もやもやが晴れたので本当の傍観者に戻ろうと思います。重ね重ね失礼しました。 「ものすごく甘い基準ですね。」 ・・・厳しいですね。玄倉川さんは具体的にどうすれば良かったとお考えなのでしょうか? 「現在の問題は主にらんきー一派・シンパ・ニセ科学擁護者の「不誠実な思考法・コミュニケーション」に対する批判です。」 これについては最初のたんぽぽさんの記事と、そのコメント欄に起因するところが大きいと個人的には思っていますが私が今更どうこう言うことではないですね。 「中には「逆効果」になる場合もあるでしょうが、たいていの人はそれほど感情的ではないだろうと期待します。」 実際はほとんどの人が感情的になっています。だから大騒動になったんでしょうし。
2008-05-19 Mon 01:04 | URL | 傍観者 #-[ 内容変更] なるようにしかならない
>エミルさん
どうか謝罪なさらないでください。 よくある行き違いでしかありませんし、私の文章が心優しい人を怒らせがちなものであることは事実なのですから。 >傍観者さん 「ですがこの問題、どういう形に落ち着くのが理想だと思われますか?」 なるようにしかなりません。 私にとって望ましい結果が得られるとはあまり期待してません。 「idiotape氏とコメントも交わしていないという事ですね?」 たしかあそこのブログはコメント欄を開けてなかったと思います。 「具体的にどうすれば良かったとお考えなのでしょうか?」 問題の根源を明らかにして具体的な再発防止策をとることです。 ぶいっちゃん氏はそのどちらも怠りました。 「実際はほとんどの人が感情的になっています。」 いまさら「批判派の態度」を問題にして取り上げる人は感情的だ、というほうが正確です。 「外部」の見方を知りたければ「はてなブックマーク」でそれぞれの記事がどのように評価されているか見てみるといいでしょう。 信じたい気持ちの人がニセ科学にはまらないように
aoyamaです。
妻が流産したとき、病室のベッドの傍らに座り、寝ている妻の手をずっと握り続けていました。 (2年後には最初の子を授かりましたが) >信じたい、すがりたいという気持ちを前に、科学は無力だ。 >ニセ科学にはまるというのは、ある意味まだ「理性」が働いているとも言える。 > >科学の敵は、「ニセ科学」そのものであって、 >「それを信じる人間」ではない、と思う。 >「信じたい」気持ちの人間を、科学で批判して、一体どうなるというのだろう。 Lightさんの打ち明け話に続く主張の部分にコメントします。 ------ >ニセ科学にはまるというのは、ある意味まだ「理性」が働いているとも言える。 でも、救いを求めて何かを信じるのならば、信仰・思想に向かって欲しいですよね。 まっとうな宗教・哲学に救われた悩める人達は沢山いらっしゃいますし、いまも多くの方々が救いの手を広げようと精一杯の努力を続けていらっしゃいます。 一方で、迷える人達を更なる迷い道に連れ込むカルト団体の実体を広く世に知らせることにより、人々が「カルト団体にすがり寄らない」ように、カルト団体の勢力が広まらないように手を尽くされている方々がおられます。 ニセ科学に対しても同様に活動されている方達がおります。ニセ科学は「科学的に証明されています」と装うことにより人々の信頼を勝ち取ろうとするので、その核となる部分を崩し「ニセ科学にすがっても良いことはない」と人々に示すのに僅かながら科学も役に立ちます。 ------ >科学の敵は、「ニセ科学」そのものであって、 >「それを信じる人間」ではない、と思う。 >「信じたい」気持ちの人間を、科学で批判して、一体どうなるというのだろう。 Lightさんは、「信じたい」気持ちの人が科学で批判されているのを御覧になったことがあるのですね。 それが本当のことだとしたら、批判された人・批判した人のどちらにとっても不幸なことだと思います。 闇雲に信じたい、すがりたいというところまで追いつめられる前に双方が出会えていれば、と思います。 本当に批判しなければならないのは「ニセ科学を広めている人」、ですよね。 何かを信じたい、すがりたいと追いつめられた人が、ふとインターネット上で『良い言葉を使えば身体の水が綺麗になります。私にはよくわからないけれど、これは科学的に証明されてるって話です』と書かれているのを読んで、「あ〜、私が信じたかったのはこれだったんだ!」となってしまうかもしれません。 "ニセ科学にはまる人を少なくする"という目的のためには、「自分の利益のためにニセ科学を宣伝している人」だけではなく「善意、あるいは軽い気持ちでニセ科学を仲介している人」(良い事らしいですよ〜〜、という程度の主張)も対象にしなければなりませんよね。 上で"批判"と書きましたが、実際のところ「ニセ科学を広めている人」の主張を変えさせる、あるいは主張を取り下げさせる、というところまでは必要ないと私は考えています。「ニセ科学を広める主張」の傍に『そのニセ科学は良いことではありませんよ』という"メッセージ"と"より詳しい解説へのリンク"を残すことが出来れば最低限の予防になると思っています。 他人の主張を変えさせるのは大変な努力が必要で、しかも必ず成功するとは限りません。 他人の主張を変えさせるよりも、継続的に『そのニセ科学は良いことではありませんよ』という"メッセージ"を発し続ける事が重要だと私は思っています。 繰り返しますが、"続けることが重要"でしょう。 ニセ科学への誘いはいろんな所で繰り返し現れてきます。poohさんは、モグラ叩きのようではあるが地道に続けることが大事だ、という主旨のことを仰っています。私も全く同意します。 願わくばLightさんやこのブログを御覧の方々も"ニセ科学を広めないためのメッセージ発信"を始めていただければと思います。 ひとりの人間が目を届かせるには世間およびインターネット空間はあまりにも広大ですが、二人ならば1/2の広さ、10人に増えれば1/10とカバーできる範囲はどんどん増えていきます。 aoyamaさん、
>妻が流産したとき、病室のベッドの傍らに座り、寝ている妻の手をずっと握り続けていました。
(2年後には最初の子を授かりましたが) ・・・ここを読んで、私も自分の時を思い出して涙が出そうになりました。(悲しくて、ではありませんのでご心配なく。) 夫もそうしてくれました。麻酔から目覚めたとき、自分の手が夫の手の中にあることに気づくのは、何とも言えないやすらかな気持ちです。 それほどの愛情に包まれていたのに、立ち直るのには時間がかかりました。 思うのですが、 人を癒すことができるのは、結局「人」と「時間」(特に時間)だけなのではないでしょうか。 (もっと深い苦しみだと、あるいは宗教の助けも要るかもしれません。) 「人」と「時間」による癒しが間に合わない場合に、似非科学やカルト宗教につけ込まれる隙が生まれるのだと思います。 科学で似非科学は否定できても、「人」や「時間」の代わりになることはできないのですよね。それが「科学の限界」だと思います。 >ニセ科学に対しても同様に活動されている方達がおります。ニセ科学は「科学的に証明されています」と装うことにより人々の信頼を勝ち取ろうとするので、その核となる部分を崩し「ニセ科学にすがっても良いことはない」と人々に示すのに僅かながら科学も役に立ちます。 ・・・その通りだと思います。 しかし、「ニセ科学で得られなかった癒しを、他のものに求めるかもしれない」というのがつらいところですね。その「他のもの」が、別のろくでもないものでなければいいのですが・・・ >ニセ科学への誘いはいろんな所で繰り返し現れてきます。poohさんは、モグラ叩きのようではあるが地道に続けることが大事だ、という主旨のことを仰っています。私も全く同意します。 ・・・私も全く同意です。 私もそうしたいのは山々なのですが、何分知識も時間も少なすぎて・・訴訟のリスクもいとわず、第一線で活躍しておられるapjさんのような方々には、本当に頭が下がります。 私としては、せめて「永遠に消えないかのように思われる苦しみも、いつかは癒えますよ」というメッセージだけでも、届けられればいいのですが・・・
2008-05-27 Tue 01:16 | URL | Light #ffrl57rc[ 内容変更] |
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早く次のエントリーを上げなければと思いつつも、ついつい時間を無為に過ごしてしまって、やっとエントリーを書き上げた。今回も引き続きテ... …
2008-05-16 Fri 20:44 愚樵空論
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