このところ、次々に水伝関連のブログ記事が立ち上がり、コメント欄を中心として様々な展開を見せているので、そちらのほうに気を取られてエントリがなかなかあげられません。
申し訳ありませんが、「次の局面」に進むのは、もう少し先になりそうです。
さて、あちこちで取り上げられている「私闘」について、私も書いてみようと思います。
まず・・・私は「私闘」という言葉に悪いイメージは持っていません。
「私闘」と聞いて最初に思い浮かんだのは、
「吹き方が気に入らない」とファゴット奏者に決闘まで申し込んだと言われる、「音楽の父」ことJ.S.バッハです。(←すみません、「のだめ」で仕入れたネタです^^;)
何とも魅力的ではないですか。
誰の利益にもならないのに、意地とプライドで相手に勝負を挑む・・・その心意気やよし、です。
もちろんこれも、大きな意味では音楽界に貢献した闘いになったかもしれませんが、少なくとも当人たちはそんなことはその時点では気にしていないでしょう。
それがバッハという人物像に何とも言えない人間味を感じさせてくれて、私はこのエピソードが大好きです。
しかし、「私闘」と言うからには、やってはいけないことがあると思います。
それは「公」を大義名分にすることです。
それをやったが最後、「プライドをかけた闘い」は、ただの「弱いものいじめ」に成り下がります。
そこをきちんと分けておかなければ、マナーというよりも、最終的には周りに向けての「説得力」の有無にもかかわってくると思います。
さて・・・
「社会(公)に及ぼす悪影響を心配して」なされたはずの批判は、「私闘」だということのようです。
私としては、まず最初に「直感は正しかったんだな」という印象を持ちました。
しかし、腑に落ちないのは、たんぽぽさんを擁護していらっしゃる方々の反応です。
お一人くらい、
「私はあなたの私闘につきあったつもりはない!」とか、
「『水伝』が社会に及ぼす悪影響について啓蒙するのが目的ではなかったのか?」
などと異議を申し立てる方がいてもいいのに・・・というのが、私の率直な感想です。
普段から「論は論、是々非々」の方々だと思っていたのですが・・・
「論理派」が、まるで「(たんぽぽさんに)共感派」に見えてしまいます。それでいいのでしょうか・・・